金光教教学研究所
Konkokyo Reserch Institute
〒719-0111 岡山県浅口市金光町大谷1441-3
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平成21年教学講演会講演記録
高橋昌之
(教学研究所所員)
信心の「語り」が持つ力
1、はじめに
みなさんこんにちは。今年は立教150年というお年柄で、秋の立教記念祭にもたくさんの方が、日本各地はもとより海外からも参拝されました。大きな祭典が行われる時、本部職員は儀式事務の体制に従って、いろいろな場所で御用するのですが、私はこの秋の立教記念祭まで約9年間、バスの駐車場で御用を頂いてきました。祭典の時間が近づくにつれて、全国から次々にバスが到着し、中から一度に多くの御信者さんが降りてこられます。
お年を召された方もいれば、私と同年代の夫婦連れ、中高生、ベビーカーに乗せられた赤ん坊など、あらゆる年代の方々がいらっしゃいます。その方たちお一人お一人ががどのような思いを持って参拝されているのかは、もちろん私には分かりません。知り合いの方に誘われて、初めて金光教の祭典にお参りされるかたもいらっしゃるでしょう。
こうした方々に接する中で、ふと、「この方たちは、普段、どのように信心されているのだろうか、あるいは、されていないのだろうか。」あるいは、「なぜ、この人たちは信心されているのだろうか」と考えることがありました。一口に「信心」と申しましても、人それぞれに、イメージするものには違いがあるでしょう。教祖様に始まるこのお道に、何らかの形でご縁をいただいているお互いではありますが、それぞれの信心は、決して一括りには出来ないものと思います。
その中にありながら、何を信心と呼ぼうとしているのか、ということはお互いの大切な問いではないかと考えます。たとえば昨今、信心継承といったことが、いろいろな場で話題に出るのを耳にすることがあります。このことに直接答えるものではないにしましても、信心にどのようなイメージを持つのか、そして信心を持って生きる、ということがどのような意味を持っているのか、ということを私は考えさせられています。
このような思いも持ちながら、私は昨年、岡山県にある岡東教会に於いて、信者の方たちから日頃の生活や信心の様子についてお話を伺ってきました。今日は、そうした信者さん方との懇談を通じて私が気づかされたこと、考えさせられた内容について、お話ししたいと思います。
2、「おかげ」という言葉の語られ方
さて、私たちの生活について考えてみた時、そこではまさに色々なことが起きてきます。願い通りに事柄が運んで、喜ばしく思うこともあれば、なかなか思い通りに事が運ばないこともあります。私自身も、家では夫であり、二人の子供の父親であり、また教学研究所では所員という御用を頂きながら日々を暮らしているわけですが、起きてくる事柄は必ずしも願い通りとは限りません。そうした日々の生活で起きる事柄をどう捉えて、生きていくのか、ということは私たち誰しもが逃れることの出来ない問題であると言えるでしょう。
岡東教会での懇談に於いても、皆さん、それぞれに日頃の生活の様子について語って下さいましたが、私は、その中におられた、太田和光(おおたかずみつ)さんという男性の語りに注目させられました。太田さんは今年85才になる男性で、昨年お話を伺った時点では、認知症の奥さんを介護しながら生活されていました。奥さんの介護は、太田さんと、娘さん二人とでなさっていたそうです(奥さんは今年の四月にお亡くなりになりました)。 その太田さんから、介護について、次のようなことが笑いながら語られたのです。
たとえば家内が血色がいいでしょう。唇でも真っ赤だし、舌でも真っ赤だし、顔もええ血色して。それでも足が悪いから、私がおしめを替えにゃあいけんわけじゃ。それで私は、貧血で青びょうたんで、ようよう、ふうふう言いながらやりようるわけじゃ。それを第三者が見たらねえ、人が見たら面白いじゃろうなあ、と思って。その光景が。それでウワッと笑うんです。(一同笑) この時、奥さんを介護する姿を自分自身で笑うというこの話を、可笑しそうに笑いながら語る太田さんにつられるようにして、他の方と一緒に私も笑っていました。しかしながら、見て頂ければおわかりのように、年老いた自分が、ようよう奥さんの介護をされているということ自体は、笑えない現実でもあるのです。
しかしこの時の語りでは、介護する自分の姿が、一歩引いたところ、つまり「第三者の目」から眺められ、面白い事実として語られています。現実の生活にどっぷりつかりながらも、奥さんへの介護の場面から、自分の動きが捉えられており、そのことによって自分の置かれた状況が理解可能なものとなっているのです。
このように、自分を笑うことについて、太田さんから次のように語られました。
第三者から見ないと笑えませんね。ということは、おかげを頂いて、有難いから笑えるんですよね。 この「おかげを頂いて、有難いから笑える」という言葉を聞いた時、私は、文字通り、何らかの「おかげを頂いた」具体的な事実があって、その結果として、笑えるのではないかと受け止めていました。しかしながら、それではどうもしっくり来ない感じがしたのです。なぜかと言うと、ここまでの太田さんのお話では、介護の場面において、何かが思い通りに行っているという事柄が語られていなかったからです。むしろ、事柄としては、徐々に奥さんの介護の負担が重くなってきている、ということが事実に近いと思われます。
この他にも、例えば、ほかの参加者の方が家族のことについて話していた時、太田さんの口から、「それはおかげを頂くね、絶対」と語られる場面がありました。
こうしたことを考えながら気づかされたのは、「おかげを頂く」という言葉が、ある事柄の内容が成就したか否か、を指すのではなくて、現実の生活を捉え返しながら、ここから「生きていこう」とする、意欲の表れとして語られているのではないか、ということでした。
具体的な事柄自体は、変化していない。むしろ人間の目から見れば困難さが増しているとさえ言える状況がある。しかしながら、そこに「おかげ」を見て、笑っていくということが起きてきています。これは、肌に触れるところでの、生きている現実の色合いを変えていこうとする実践ではないかと思うのです。様々な事柄を抱えながら、どう生きていくことができるのか、の一つのあり方だと考えます。
実は、この話をある教会でさせてもらった時、そこで聞いておられた先生が、「その『おかげ』という言葉は、神様が言わせているんでしょうね」と仰いました。そのように言われてみて、よりハッキリしてきたのは、自分を一歩引いたところから見る、という見方が、自分を超えた存在、これは、言葉を変えれば神様からの視線を呼び寄せているのではないか、ということです。ただ単に、自分を第三者の目から、客観的に見る、ということだけではなく、人間の思いだけでは判断の付かない事柄をどのように捉え、どのような言葉を与えていくのか。そこに信心の働きが見えてくると思うのです。
では、みずからの生活について語ることが周囲にどのような働きを持つのでしょうか。つぎに、この点についてお話ししたいと思います。
3、「語り」が周囲に及ぼす働き -自分の生活を語ることによる場の形成-
太田さんは、若い頃から教内誌にいろいろとエッセイを発表してきておられます。最初は、金光教青年会連合本部の委員長に決まったことがきっかけだったそうです。毎月、青年会の機関誌に自らの私生活を題材にした文章を発表し、それを通じて、委員長として育てられたい、との思いであったとのことです。そこでは、夫婦関係のことなど、家庭の赤裸々な事柄が題材にされています。
例えば、太田さんは、夫婦仲が良くありたいとの思いから、毎日奥さんに「愛しています」と声を掛けていた時期があり、その取り組みをそのままエッセイに書いています。すると、その文章が反響を呼び、同じように夫婦関係を問題にしている読者から、「ぼくも太田さんに習って『愛しています』と言い始めています」と言われるなど、いまだに反応があるとのことでした。
ここで注目すべきことは、エッセイを発表すること、つまり自らの生活について語ることを通じて、他の人と対話の場が出来ていることです。自分の直面している問題に関わって、心の動きや感情などを含めた、太田さん自身を、エッセイという形で読者の前に投げ出しているという、そのことに読者が共鳴しているのです。そのとき、問題が解決した結果をもって語り出すのではなく、問題を抱えたままで、自身を提示するということが重要なポイントになっていると思われるのです
先ほども申したように、私たちが生きていく上には、様々な問題が起き続けます。それらが、思うように解決に向かうこともあれば、思うに任せないことも多いです。しかしいずれにしても、大切なのは、日常生活の様々な事柄にまみれながらも、どのようにして、「今、ここから」を生きていくのか、ということではないでしょうか。 自分の生活を語るという事は、理想とする自分のあり方と、現実の自分の姿との間にある隔たり、ギャップを人前に提示する行為でもあります。(そのことは、語りながら、自分自身でそのギャップを自覚する営みでもあります。)そのようなギャップを提示することが、その語りに触れる人にとっても、意味を持ち得るのだと思います。
例えば、私自身の経験をお話ししたいと思います。 ある日の岡東教会の朝の御祈念に、私が参拝したときのことです。岡東教会では朝御祈念の後に、先生と御信者によってお茶の時間があるのですが、その場に私も参加させてもらいました。その時に、太田さんが自身の夫婦関係のことをおもしろ可笑しく話されたことにつられて、私自身も、自分の子育てのこと、また夫婦関係のことなどを話したことがありました。それは太田さんの語りにつられるようにして話したという感じでした。そして、その私の話に呼応するようにして、他に参加していた信者さん方から、意見が出されたりしました。
私自身、その時は無自覚だったのですが、なぜ自分の私生活について話したかを考えてみると、自分の理想とする生活のあり方と、現実とのギャップを受け止め、それを埋めるあり方を、そこにいる皆さんとの関係において見出したい、との思いに促されていたのかも知れないと思います。
先ほど紹介したエッセイの読者や、私自身の経験からも分かるように、ある一人の語りが、他の人の語りを呼ぶことになっています。このことからは、お互いに語りを通じて関わり合うことから、そこに誰も予測していなかった、生きる現実の意味づけも生まれうると言えるでしょう。このような、語りかける本人も予想していない展開から、他の人の生活にも及んで場が広がっていくことに、信心の語りの持つ大切な働きを見ることが出来ると思います。本来ならば当事者にとっての私的な問題であったものが、自分を題材にした「人間にとっての問題」となり、同様の問題を抱えて生きる人にとっても意味を持つ「貴重な経験」ともなり得ています。こうした働きに促されるようにしながら自分のことを語り、またその働きに触れようとしながら生きているのが、太田さんではないかと思います。
3 「我欲」と語ること(太田さん)
これまで、「おかげ」から体験が構え直されていった様相を窺ってきましたが、太田さんが「我欲」として自身を振り返られた場面がありました。ここではその場面を見ていきたいと思います。
太田さんの言う「我欲」なのですが、それは、テント一枚で外と隔てた震災直後の寒さ、梅雨の時期の暑さや雨が染みこんでくるといった過酷な生活環境、また、一つのテントを二世帯で使う共同生活のストレス、また、炊きだしの用意やテントの補修管理といったテント村という共同作業が当時、そこから通っていた仕事のため十分に参加出来ないといった共同作業と仕事との両立、そこでの葛藤という状況があって、当時の思いを「ぎりぎり」、「こんな生活、早く抜けんと」という限界のテント生活があった。そこで、震災後の当初、「教会周辺で」という住宅の願いを、どこでもいいからすぐに住宅を願い、お届けし、「いまが信心の見せ所」「当初の願いを」と取り次がれ、その言葉を受け入れて、すぐ、教会の近所に住宅のお陰を受けられるのですが、その「どこでもいいから」と願ったことを「まあ、いわば我欲でしょうね。」「自分中心の考え」とおっしゃっていたのです。
それは、自身の願いを我欲とし問題にして、当時の自分が振り返られ、そうでしかなかった自分と向き合われていくのですが、それと同時に、そのように言わしめる「いま」の実感(これを別の所で「平穏無事」とおっしゃるのですが、平穏無事ないまへの感謝)へ向けられる言葉でもあったのです。 このように「我欲」という言葉がつかわれるのは、自己との向き合いを促しながら同時に、これまで見てきた「おかげ」という言葉と同様、その言葉で語ることでリアルになる体験を重視してのことであり、「相手の立ち行き」といった境地に自己を押し開いていく働きを導くようにして使われていたのです。
4、おわりに
この講演の初めに、信心にどのようなイメージを抱くのか、という問いかけを行いました。私自身は、さまざまな難儀な事柄に、具体的な筋道が付いていくことは、それ自体として非常に大きな信心の働きだと思っています。例えば、病気であれば病気が良くなる、経済が苦しければ経済の状態が良くなる、あるいは家庭や会社などでの人間関係が良くなることなどは、誰しもが願うことです。そして、そうした具体的な「おかげ」を頂くにも、どのような生活のあり方を送るのか、というところに、信心のイメージも浮かび上がってくるのだと思います。
そのようなとき、「出来ている自分」「立派なあり方」という、どこかで構えた生き方ではなく、今ある自分の姿を提示しながら、自分の価値判断を超えた存在に触れていくことが大事になるのではないかと考えます。そうしたあり方から、波紋が広がるようにして周囲の人との関係、さらには自分を超えた存在(神様)との関係も結び直すされていくのではないでしょうか。こうした関係性を結び直し、作りかえていくことにより、いま生きている世界の見え方が変わってくるのではないか、と考えています。
この度の研究では、このことについて太田和光さんという方に注目しながら考えてきましたが、おそらくここまで述べてきたようなことは、このお道の信心に備わる、大きな働きを示しているのではないか、という予測を持っています。この点については今後、教祖様と参拝者との間でなされた対話の分析などを通じて、さらに考えていきたいと思っています。
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