研究業務

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平成28年度研究題目



 本所では、教規の規定に基づき、毎年各所員は、研究題目を所長に提出し、認定を受けた上で研究を取り進めて、年度末までに報告をまとめ、所長に提出します。提出された研究報告は、所内での検討を経た後、発表の必要性が認められた報告について、紀要『金光教学』誌上で発表されます。
 本年度の各所員の研究題目は以下の通りです。


第1部(教祖研究部門)



大林浩治


「神の頼み」に見る価値転倒 ―貨幣経済秩序との関わりで―


 本研究は、貨幣経済を基礎とし始めた社会にあって、文治が神との関わりに生きた意味を取り上げる。
 事例となるのは、安政4年の弟繁右衛門の屋敷建築費の依頼や、その後の家業廃止(安政6年)、宮建築(元治元年)といった「神の頼み」である。
 これらには、人間より優位であろうはずの神が人間に頼むという特徴があり、そうした神と人間との関係性には、貨幣経済の進行上に頼みを誘発する原動因を認めることができる。
 考察にあたっては、これら頼みの背後で生じた、浅吉の借金問題や宮建築勧化金の横領問題にもふれつつ、頼まれる主体の側の変貌(自己変容)と、それに応じた現実の方の価値転倒、すなわち「超越」という経験とその可能性が焦点化されることとなる。 

岩崎繁之


金光大神事蹟資料についての基礎的研究 ―金光宅吉筆写資料「別の帳」箇所への注目から―


 金光宅吉筆写資料には、「覚帳」の筆写箇所の後に、「又、別の帳書付あり」として筆写された箇所が続いているものがある。そこに記された「別の帳」とされる原本の存在は不明であるが、「覚帳」筆写箇所が、原本とほぼ同様であることからも、その存在は、十分、想定可能となる。
 この箇所の内容を見ると、「覚帳」「覚書」と同時期にできたことが推察され、それにより、これまで確認されてきた「覚帳」「覚書」相互の関係性にも再検討の要を認めることとなる。さらには、この両書に新たな帳面を加えて、それぞれの性格を明らかにする必要も生じてくることが考えられる。
  本研究は、こうした再検討に資するべく、「別の帳」原本の有り様を探りつつ、筆写箇所の性格究明を試みる。

白石淳平


「金光大神御覚書」への視座 ─ 「語り」の構造に注目して─


 「覚書」には、誰かの「語り」、あるいは、何かの「語り」、とでも言うしかないような、記述内容上に複数の語り手を見たり、またそもそも語り手を特定し難い様相も見られる。
 それはたとえば、金光大神本人では知り得ない幼少期や、本人の意図を超えて神や精霊などが告げた記述に確認できる。さらには、明治7年の振り返りの要請に応じて記述された「覚書」それ自体にも、「語り」の上の「語り」という重層性を認めることができる。こうしたことがらには、あたかも「語り」それ自体が語り手であるような自律性をも感じられる。
 本研究では、こうした「語り」の構造に着目し、「語り」によって捉え返される自己変容などを分析し、「覚書」論としての新たな視点を提示する。 


第2部(教義研究部門)


    

高橋昌之


「先祖」「精霊」の意味世界 ―「覚書」「覚帳」及び「理解」等における死者の感取に注目して―


 本研究は、「覚書」「覚帳」等における「先祖」「精霊」に関わる記述を取り上げ、死者が感取される意味世界が人間の実存的実感にどのような意味を与えているかを現代的な救済論の課題性をも意識しつつ追究する。
 具体的に取り上げるのは、金光大神理解を初め、金光大神が精霊の思いに触れた安政5年の出来事や、明治2年の「先祖の祭り」、明治14年の桜丸の死の出来事、さらには後の布教者らの言説などである。これらを通じ、不可視な世界が関わりながら、いかに救いが可能となっていくかを分析するとともに、その救いが、現代の人間の存在論的な実感に及ぶ救済論として持つ意味を提示する。


第3部(教団史研究部門)



児山真生


昭和二十年代における教務と教会の関係理解の諸相 ―「教制審議会」の「教会論」に注目して―


 「教団布教」は、昭和40年代の教務教政から打ち出されてきた課題であるが、その背景には、「教会の自立性」をめぐるそれまでの問題意識が大きく関わっていたことが確認できる。
 この「教会の自立性」は、教規改正など教団変革の大きな動向をかたちづくってきた「教務の布教体制化」とも相俟って、今日につながる教務と教会の関係理解における重要な論点にもなっている。
 本研究では、昭和29年の教規改正に向けた片島幸吉、第二次高橋正雄内局期の議論を視野に収め、「教会の自立性」が議論されていく、その内容や問題意識の背景を窺うとともに、その議論で展望されていた「教団」構想の歴史的意義を究明する。

山田光徳


大正期における教会の信仰実態 ―布教史資料を用いた基礎データの作成を手がかりに―


 明治33年の独立時に教会数は253であるが、大正2年には484、同15年には933と増加している。また教師数は、独立時は954人だが、大正2年には1149人、同15年には1991人に増加している。
 本研究は、大正期に高進するこうした教団の実態と規模を経年的に把握するべく、基礎データの作成につとめる。またそれとともに、教会の地域分布などを参考に、地域社会との関わりなど、個別具体的な信仰実態の事例なども取り上げ、分析する。


助手の研究



 この他、助手は、所員の指導のもとに研究を進め、金光大神からの「子孫繁盛」に関わる理解が、それを受けた者に与えた意味の究明や、ハンセン病療養所内の求信会への注目から、各々が抱えて生きていくものと信仰との関わりの究明、また、明治末の信仰理解の共有のされ方や、戦後の「御取次成就信心生活運動」における信仰者レベルでの取り組みの実際について研究を行う。

 なお、各所員・助手の成果は、来年2月上旬に研究報告としてまとめられ、提出される。 
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