紀要『金光教学』

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紀要『金光教学』第64号刊行



 金光教教学研究所では毎年、研究の成果を紀要『金光教学』に発表してきている。本年度刊行の第64号には、論文2編、資料論考1編が掲載されている。論文概要は以下の通り。

白石淳平論文


 それぞれの「戦後」と「教祖」―昭和40年代を中心に―
  

 この論文は、急速な経済発展の一方、様々な社会問題が生じた昭和40年代を中心として、教師や信徒らが生きた「戦後」に浮かぶ「教祖」探求の営為に注目し、彼らの経験が「教団」の歴史に投げかける意味を論じている。具体的には、信徒会報『あいよかけよ』の記事を手がかりとして、戦後社会の難儀に呼応する信徒個々の姿に、〝実践の始原〟としての「教祖」が確認される様相を明らかにし、また、当時の代表的な教政者安田好三における「教祖」への求めが、彼自身の戦争体験を色濃く帯びており、平和を基調とした「教祖」を社会に知らしめるという強い問題意識の発露となっていることに言及した。このことを通じて、「教団」を思い描く営みにおいて、それぞれの時代を生きる人間の苦悩や、逡巡に向けられた問いを介しての「教祖」の生きられ方が結びついていることの可能性を論究している。


橋本雄二論文


 『金光教教典』の編纂とその受容―表象しがたい「救い」をめぐって―
  

 この論文は、『金光教教典』(昭和58年刊行)の編纂に至る歴史過程や、刊行後、同書が人々に受容されていく様相を検討し、それらに浮かぶ意味を論究している。具体的には、同書の編纂委員らが、教祖の直筆資料に記された差別語の扱いに苦慮している様相をとりあげ、神と教祖との関わりを直裁に表現する事に限界を感じていたことを明らかにしている。また、同書の刊行により顕わとなった問題、例えば家族の問題で苦労し続けた教祖の姿によって戸惑い、「救い」の意味を自問させられた教師達の様子等が描かれている。このことにより、教団は同書の編纂と受容を通じて、信心や「救い」のあらわし難さを経験したと評価し、分かり易さばかりが求められる今日だからこそ、その経験は問われつづけるべきだと論じている。


【資料論考】堀江道広


 「金乃神様金子御さしむけ覚帳」について―他の帳面との照合を通じて―
  

 平成27年に教団へ提供された、「金乃神様金子御さしむけ覚帳」と呼ばれる帳面(金光大神直筆、以下「金子覚帳」)には、広前を訪れた者と金光大神との間でなされた金銭のやりとりが記されている。「金子覚帳」には、おおよそ安政六年から明治元年の記述があるが、その成り立ちにも関わってこの資料論考では、同帳面が金光大神の信心にとって如何なる意味をもつのかを考察している。具体的には、「金子覚帳」と他の帳面(「金銀出入帳」「広前歳書帳」他)とを照合しながら、近隣の者に金銭を融通していた実際をはじめ、各地から訪れる修験者への金光大神による応答の一端等を明らかにしている。これらを通じて、金光大神が同帳面を綴ったり見返したりしながら、金銭のやり取りをした相手との関係性に思いを巡らせつつ、そこに神の働きを感受していた様相について論じている。

  • 定価550円(税込み)。9月29日から金光教徒社で販売開始。


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