紀要『金光教学』掲載論文一覧

   文字サイズ


第19号(昭和54年)



石河道明
天地書附の生成過程に関する一考察 ―生神金光大神社研究―
福嶋義次
時節考 ―金光大神理解研究ノート―
 …PDFファイルを読む
佐藤光俊
管長と宿老の径庭 ―教祖奥城改修をめぐって―
 …PDFファイルを読む
宮田喜代秀
教語の筆写活動について ―筆写本研究―
 …PDFファイルを読む
藤尾節昭
研究ノート 布教史試論二 ―殉教者考―
 …PDFファイルを読む
金光真整・    金光和道編
資料 小野家文書(13) 永世御用記(明治元年10月~2年5月)
宮田真喜男編教団史資料目録(5) 教団史資料<三>(明治33~45年)(1)



第18号(昭和53年)



山田実雄
神道三柱教会の成立と崩壊―布教史研究ノート―
早川公明
金神社建築運動に関する一考察
佐藤光俊
擬態としての組織化―神道金光教会設立とその結収運動―
岩本徳雄
日天四と金光大神
金光真整編
資料 小野家文書(12) 永世御用記(慶応4年7月~10月)
宮田真喜男編
教団史資料目録(4) 教団史資料<二>(明治18~33年)(2)



第17号(昭和52年)



福嶋義次
金神、その神性開示について ―金光大神理解研究ノート―
瀬戸美喜雄
神の怒りと負け手 ―明治六年十月十日の神伝をめぐって―
金光和道
川手家の研究 ―宝暦から文政にかけて―
金光真整編
資料 小野家文書(11) 永代御用記(慶応3年9月~4年7月)
宮田真喜男編
教団史資料目録(3) 教団史資料<一>(明治18~33年)(1)



第16号(昭和51年)



瀬戸美喜雄
維新期における金光大神の信仰 ―政治に対する態度と思想―
早川公明
修験者との折衝過程に関する 一考察―尊滝院許状の取得から返却に至る過程分析―
福嶋義次
「理解」のことばについて ―金光大神理解研究ノート―
高橋行地郎
神が世に出る論理 ―金光大明神誕生前後における―
藤尾節昭
布教史試論 ―金神考―
金光真整編
資料 小野家文書(10) 永代御用記(慶応3年1月~8月)
宮田真喜男編
教団史資料目録(2) 神道本局資料(明治14~17年)



第15号(昭和50年)



竹部教雄
「実意丁寧神信心」考
福嶋義次
慣習世界と信仰形式 ―金光大神理解研究ノート―
高橋行地郎
生神金光大神社についての一考察 ―金子大明神の誕生過程を視点に―
久保田紘二
「御奉仕神習会」変遷の諸問題
金光和道
資料論攷 「堅盤谷の婆さん」考
金光真整編
資料 小野家文書(9) 永代御用記(慶応2年)
宮田真喜男編
教団史資料目録(1) 神道本局資料(明治7~13年)



第14号(昭和49年)



沢田重信
初期本教の教勢について ―斎藤重右衛門の祈念帳の分析―
瀬戸美喜雄
近世後期大谷村の社会・経済状況について ―赤沢文治における倫理的実践の背景―
山田実雄
巡教の様相とその問題性 ―明治期を中心として―
宮田真喜男
教団統理者選出の変遷(二) ―昭和十六年教規をめぐって―
金光真整編
資料 小野家文書(8) 永代御用記(元治2年~慶応元年)



第13号(昭和48年)



藤井記念雄
戦後教団の動向と諸問題
宮田真喜男
教団統理者選出の変遷
真鍋司郎
民衆救済の論理 ―金神信仰の系譜とその深化―
高橋行地郎
文治大明神誕生過程の考察 ―金神の悪神性との関係を視点にして―
金光和道
大谷村と巡見使



第12号(昭和47年)



沢田重信
金光大神における出社の意義 ―明治六年八月十九日のお知らせの一解釈―
福嶋義次
維新期における金光大神の視座
斎藤東洋男
明治前期大谷村における徴兵について
瀬戸美喜雄
教祖四十二才の大患の事蹟について(二)
藤尾節昭
教団成立期における教義形成の諸問題



第11号(昭和46年)



宮田真喜男
大正六年から十一年頃の畑教監時代の教団の問題
藤尾節昭
布教と教義化の問題 ―「信条」をめぐって―
真鍋司郎
三十三歳の教祖 ―四国まいりの意味をたずねて―
高橋行地郎
教祖における信心展開の基本構造 ―「月の三日神参り」の意味をたずねて―
金光真整編
資料 小野家文書(7) 永代御用記(安政5年~元治元年)



第10号(昭和45年)



瀬戸美喜雄
教祖四十二歳の大患の事蹟について ―金神・神々と教祖との関わり―
福嶋義次
一乃弟子もらいうけをめぐる金神と天照皇大神との問答 ―伝承の世界と信仰の世界―



第9号(昭和44年)



金光真整
金光大神御覚書の読み方について
竹部教雄
安政五年十二月二十四日のお知らせの一解釈
高橋行地郎
三十七才の教祖 ―その苦しみのとき―
福嶋義次
安政五年七月における精霊回向の事蹟解釈 ―伝承の世界と信仰の世界―
沢田重信
信心・布教・政治 ―金光大神御覚書、明治六年「神前撤去」の解釈―
和田登世雄編  共同討議 金光大神御覚書の解釈 ―教祖とわれわれ―



第8号(昭和43年)



福嶋義次
「秋浮塵子」の事蹟について ―『御覚書』解釈のための試論―



第7号(昭和39年)



三矢田守秋
教祖一家の農業経済についての一考察 ―近世大谷村農地の実情―
瀬戸美喜雄
教祖の信心の基本的特性 ―現実生活との関係を中心として―
金光真整
教祖時代入信、取りつぎに従った諸師について(続)
藤村真佐伎
教祖の信心における道理の自覚について
沢田重信
取次者の課題 ―布教、教導上の諸問題について―
藤井記念雄
教会家庭の諸問題についての一考察
金光真整・三矢田守秋編  資料 小野家文書(6) 宗門御改寺請名歳帳



第6号(昭和38年)



内田守昌
教祖における布教の意義
金光真整
教祖時代入信、取りつぎに従った諸師について
米本鎮雄
教会継承をめぐる問題について
沢田重信
本教信者の教義理解の諸相―実態調査にもとづく分析―
橋本真雄
出社の成立とその展開(下)―教団組織の問題をめぐって―
前田正紀
神道金光教会講社気多組成立の要因について
福嶋真喜一
初代白神新一郎「御道案内」について
金光真整・三矢田守秋編  資料 小野家文書(5) 役用並天象出行日記(天保9年10月~10年5月)



第5号(昭和37年)



藤井記念雄
実意丁寧神信心の志向性についての試論
橋本真雄
出社の成立とその展開(中) ―教団組織の問題をめぐって―
瀬戸美喜雄
金光教とキリスト教の比較研究 ―教祖論についての序説―
宮田真喜男
金光教における死の意味 ―教祖の生死に対する態度について―
沢田重信
教会と信者の対応関係にみられる諸問題 ―信者の教会への態度の分析―
松井雄飛太郎
金光教と浄土真宗の比較研究 ―その信心構造の輪廓について―
金光真整・三矢田守秋編  資料 小野家文書(4) 役用並天象出行日記(天保9年1月~8月)



第4号(昭和36年)



畑愷
金光教教典の成立過程について
橋本真雄
出社の成立とその展開(上) ―教団組織の問題をめぐって―
三矢田守秋
近世末期大谷村農民の婚姻について
沢田重信
本教における信心生活 ―信徒層と入信にみられる諸問題―
岡開造
教祖の信心の基本的性格 ―四十二才を中心として―
内田守昌
取次の原理
金光真整・三矢田守秋編  資料 小野家文書(3) 役用並天象出行日記(天保8年7月~12月)



第3号(昭和35年)



松井雄飛太郎
生神の意味 ―文治大明神について―
松岡道雄
教祖における人間形成について ―四十二才までを中心として―
岡開造
「氏子あっての神神あっての氏子」理解の論理的立場について
矢野信夫
台湾布教史研究 ―台北布教を中心として―
藤井記念雄
藤井くらの信心についての一考察
高橋一邦
高橋茂久平の信心について ―その三十才以後―
沢田重信
信奉者の信心生活について ―実態調査による問題把握の視点―
金光真整・三矢田守秋編  資料 小野家文書(2) 小野四右衛門日記(文久2年7月~12月)



第2号(昭和34年)



藤村真佐伎
金光教における勤労倫理について
高橋一邦
高橋茂久平の信心について―その二十九才まで―
金光真整
教祖と神との関係についての一考察(1)
大淵千仭
教祖の信心について(中)  ―四十二才の体験をめぐって―
金光真整・三矢田守秋編  資料 小野家文書(1) 小野四右衛門日記(文久2年1月~6月)



第1号(昭和33年)



大淵千仭
教祖の信心について(上) ―序説的概観―
内田守昌
信心の基本的構造 ―安政五年~六年の教祖を中心として―
青木茂
小野家の家相方位学説
小野敏夫
教義史に関する一管見

前へ
123
次へ
サイトマップ


Copyright (C) by Konkokyo Reserch Institute since 1954