研究業務

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令和6年度研究題目



 本所では、教規の規定に基づき、毎年各所員は、研究題目を所長に提出し、認定を受けた上で研究を取り進めて、年度末までに報告をまとめ、所長に提出します。提出された研究報告は、所内での検討を経た後、発表の必要性が認められた報告について、紀要『金光教学』誌上で発表されます。

 本年度の各所員の研究題目は以下の通りです。


第1部(教祖研究部門)



白石淳平


 幕末維新期岡山城下の金神祭祀集団について


 従来、金光大神在世中の岡山城下における金神祭祀の様相については、明治四年に『御道案内』を著した初代白神新一郎が主な検討対象となってきたが、それ以前の様相については同書の成立背景も含めて明らかでない。
 この点に関して近年教団へ提供された資料を窺うと、池田家家臣らによる信仰集団が寄進を申し出るなど、金光大神との関わりを求めた様子が記されており、同地における金神祭祀を窺う手がかりが浮かんでくる。
 本研究では同資料に注目し、幕末維新期岡山城下における金神祭祀とその集団化の様相を窺いつつ、神仏を意識させる時代の相貌が、救済観や世界観の問題としてどう立ち現れ、金光大神の信心に影響を与えたのかを考察する。

堀江道広


 金光大神直筆帳面類にうかがう「振り返り」の諸相


 「金乃神様金子御さしむけ覚帳」には、安政六年から明治元年の金銭融通が記されており、それら記事は金光大神と神との関わりが、帳面に記すべき事柄を選択させていた様相を窺わせている。
 従来、金光大神における「振り返り」については、筆記者金光大神という主体を想定し、主に直筆帳面類の資料論的検討を通じて把握されてきたが、先に述べたことからは、「神との関わり」それ自体が主体として形成される様相として、「振り返り」を捉え直す要が浮上する。
 本研究では「金乃神様金子御さしむけ覚帳」をはじめ、金光大神直筆帳面類における「振り返り」の諸相とその相互関連性を検討し、右の課題を追究する。


第2部(教義研究部門)


    

高橋昌之


 金光大神の戦争
  ―平和論、救済論に向けて―


 幕末維新期の日本は、欧米列強の開国要求を端緒とした内戦が続く政情不安な状態にあり、金光大神の広前にも戦地の様子がつぶさに伝えられるなど、時代の緊張感に包まれていた。
 その中にあって金光大神は、戦争を遂行する「お上」の安寧を祈りつつ、同時に彼らの支配下で危険に曝される人々の惨状に触れていたと推察され、そうした様相からは、金光大神が直面した世界(「唐天竺日本」「万国まで残りなく金光大神でき」等)への眼差しや人々の救われ難さに浮かぶ意味を、広く当該期の世界情勢に照らしながら検討し、本教の平和論、救済論として提示することが可能と考えられる。
 本研究では、後に直信等が日清・日露戦争で列強に倣って帝国主義的言説を展開した歴史との関連性も視野に収めつつ、金光大神が戦争を通じて出合った問題に考察を及ぼし、右の課題を追究する。  
  

塩飽望


 教祖とその家族について


 本教における「教祖とその家族」をめぐっては、教祖伝記の表現にも認められる通り、教祖は神の意思を理解し、家族はその教祖から向けられる指示や願いを、葛藤を抱えつつも受けようとしたとの見方が顕著である。
 しかし教祖伝記の主典拠である「金光大神御覚書」「お知らせ事覚帳」には、教祖を介した神の願いに背く家族の姿も認められ、それらは右に述べた見方の範疇に収まらないものとなっている。また彼ら自身もそれぞれ神号を与えられており、神から願いを掛けられながら問題に向き合っていたと考えられることから、そうした姿には、教祖すら想定し得なかった神の願いを読み取れる可能性があると思われる。
 本研究では、右の可能性に浮かぶ課題を議論する上で有効な場面・方法を探るべく、特に「お知らせ事覚帳」に記された教祖晩年における家族への叱責や、子女間に生じた緊張関係などに見られる意味を考察する。
  

橋本雄二


 差別を視点とした信心への問い


 差別と信心の関わりについては、部落解放同盟による糾弾(昭和五〇年代)を契機に仏教界の身元調査や差別戒名が衆目を集め、宗教界の差別体質が問題にされた。
 本教でも『金光教教典』(昭和五八年刊行)の編纂過程において、様々な歴史的背景を持つ用語の検討を行い、当時として適切と判断した対応が取られたものの、差別と信心がいかなる関係にあるのかについて、必ずしも十分な議論がなされたとは言えないまま今日に至っている。
 本研究では右の状況を踏まえ、今もなお差別に苦しむ人々と、信心との関係について検討する要があると考えるところから、広く差別の歴史や他宗の議論などに学びつつ、教学として可能な問題設定の提示に努める。


第3部(教団史研究部門)



山田光徳


 「よい話をしていく運動」の発足とその周辺


 平成元年の「よい話をしていく運動」発足に際して、当時の教監矢代礼紀は「心」と「行い」を二分化した上で、あえて「心」(各自の内面)より「行い」(話す行為)を重視する姿勢を打ち出した。
 右の表明には、現状の信心や教団動向を旧態と位置付け、その乗り越えを運動に託そうとする意図が指摘できるのだが、そうした時、「心」と「行い」をめぐって教団では何が問題とされたのか、また二分化の論理に基づくこの試みは、いかなる道程を辿ったのかに関心が及ぶ。
 本研究では、同運動の発足をめぐる議論や実践の様相を窺い、昭和末から平成初期、そして今日に至る信心の有り様や教団状況を捉える視座に培う。

須嵜真治


 体制と人間

  ―「教団布教」体制構想期のメディア展開に注目して―


 昭和五〇年代前後の「教団布教」体制構想期には、その体制を強化すべく議論が活発化する中で、各種メディア(ラジオ、新聞等)事業が積極的に展開された。こうした様相には、体制構想の議論の場と、制作等の現場とが、共に時代社会における変化の影響下に置かれていた実際を垣間見ることが出来る。
 このことから、当時の教団状況を、「教団と社会」「組織体制と個人」といった構図ではなく、それらを媒介し、教内外のコミュニケーションを形作る環境としてのメディアを視座としながら、把握するべく努めたい。
 本研究では、教規改正(昭和五五年)の議論をはじめ、ラジオ放送の教団運営化、新聞の教団刊行化といった事業の展開・変容過程を跡づけつつ、各現場担当者らの経験にも目を向けながら、急速に変化する時代社会における教団のあり方を立体的に捉えるべく努める。


助手の研究



 この他、助手は所員の指導のもとに、時代社会や地域性と布教との関係性について研究を行う。
 なお、各所員・助手の成果は、来年2月上旬に研究報告としてまとめられ、提出される。


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