研究業務

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令和元年度研究題目



 本所では、教規の規定に基づき、毎年各所員は、研究題目を所長に提出し、認定を受けた上で研究を取り進めて、年度末までに報告をまとめ、所長に提出します。提出された研究報告は、所内での検討を経た後、発表の必要性が認められた報告について、紀要『金光教学』誌上で発表されます。
 本年度の各所員の研究題目は以下の通りです。


第1部(教祖研究部門)



岩崎繁之


 肥灰御差し止めの事蹟見返しの諸相

  ―明治4年における「金光大神年譜帳」起筆との関係から―


 金光大神は、神勤を始めることとなる安政6年の肥灰御差し止めの事蹟(立教)を、明治4年から幾度も見返している。また同年12月には、自身の生涯を書き留めるようお知らせを受けて帳面執筆を開始している(「金光大神年譜帳」)。こうした金光大神の様子からは、同年がいかなる様相であったのかが改めての疑問となる。
 本研究では、肥灰御差し止めの事蹟見返しの諸相を、時代社会的要因や「金光大神年譜帳」起筆との関係から問うことを通じ、金光大神にとっての明治四年の意味を明らかにする。

白石淳平


  明治期の金光大神と金神

  ―「暦注略年譜」の様相を手がかりに―

 

 明治6年の改暦後に金光大神が起筆したと見られる帳面に「暦注略年譜」がある。そこには家族の出生記事や自身の年譜の他、暦注における禁忌や金神など暦神に関する内容が認められ、改暦が金光大神に金神を意識させた可能性が窺われる。
 本研究では、同帳面への注目から金光大神に捉えられていた神の様相を窺い、新たな資料状況下における金光大神の信仰世界像究明へ向けた議論に培う。


第2部(教義研究部門)


    

高橋昌之


 「めぐり」の位相
  ―信心に関わる言語環境の検討―


 一般的に循環や邂逅を意味する「めぐり」は、本教において運命論的かつ否定的価値を帯びている。かつては様々な場面で語られ、現在では公的に言及しがたいと目されるものの、この言葉は淘汰され切ることなくある種の重みを有している。このことは、同じ言葉でも語られる文脈や受容のあり方が一様でなく、時代社会と共にある信心の意義や様態を考えさせる。
 本研究では、金光大神より後の時代にこの言葉が語られてきた文脈を追い、神観、人間観を初めとした信心に関わる言語環境を検討する。


第3部(教団史研究部門)



児山真生


 戦災教会・布教所における復興とその意味


 太平洋戦争時の本土空襲等によって約320教会・布教所が戦災を受け、その復興は戦後教団の最優先課題とされた。しかしそれは当事者の意思や教務施策のあり方のみならず、それぞれに異なる都市計画や建築資材調達といった要因が関係する複合的課題であった。
 本研究では、未だ研究的に明らかにされていない戦災復興の取り組みについて、主として社会的諸要因と復興の関わりが窺われる教会・布教所の事例に注目しつつ検討し、復興の経験とその教団史的意味を究明する。

山田光徳


 明治末期の金光教における〝社会的結びつき〟の諸相


 本教では、日露戦争前後から各種の自主団体が数多く結成された。これら団体の目的は信念修養や教導研究の他、社会改善事業、会員相互の親睦など多様で、構成員も教師・信徒・男女の別など団体により異なる。ここからは、それぞれに社会的結合、連帯が求められた要因や背景、その実態への関心が生じる。
 本研究では、当該期の社会状況や本教で遠望された教団編制を視野に収めつつ各団体結成のあり方を究明し、今日の信心に見られる社会的結合の意味を捉える。

須嵜真治


 明治20年代の岡山市域における布教の諸相

  ―神道金光教会中島支所を中心に―


 近年、本所に提供された資料の中に、明治20年代の岡山市域とその周辺の願主について記載された御祈念帳がある。この帳面には、神道金光教会中島支教会所(明治19年設立。後の中島支所)に奉仕していた人物の署名があることから同所の御祈念帳と推測され、岡山市域における布教の一端を窺わせるものと考えられる。
 本研究では、今後の研究展開に向けた基礎作業として、同帳面の成り立ちを含めた資料的位置づけの明確化を図るべく、記述内容の把握に取り組む。


助手の研究



 この他、助手は所員の指導のもとに、戦後の拝詞制定に向けた議論と日常的信仰営為の関わり、金銭に関わる教祖直筆帳面の資料的性格の究明、明治・大正期の教内紙誌での性差に関わる言説とその意味、について研究を行う。
 なお、各所員・助手の成果は、来年2月上旬に研究報告としてまとめられ、提出される。


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