紀要『金光教学』

   文字サイズ


第52回紀要掲載論文検討会



 11月26日、第52回紀要掲載論文検討会を開催した。今回は、第60号掲載論文、研究ノートの検討、また同号掲載の「金乃神様金子御さしむけ覚帳」解読文及び解説、紀要全般・研究動向をめぐっての意見交換を行った。

 所外出席者は、長崎誠人(姫路大学准教授)、竹部真幸(姫路教会)、水野照雄(本所評議員・松阪新町教会)、松岡光一(本所研究員・墨染教会)、服部貴子(本所研究員・牧野教会)、佐藤光貴(学院講師・仁方教会)、所内出席者は、児山真生、岩崎繁之、森川育子、堀江道広(以上、執筆者及び資料解説担当者)、大林浩治、高橋昌之、白石淳平、山田光徳(司会)であった。

 主な検討内容は、以下の通り。


兒山真生論文


 「戦後布教における戦災教会復興対策とその経験

  ―「戦災復興対策要綱」の策定・具体化過程を中心に―」
  

 本論文では、空襲等による戦災教会の復興が、布教方途を優先的な課題とした終戦直後の教団の様相において明らかにされている。これまで当該期の教団動向は、先行研究において議会との関係から教政運営の不安定さが問題とされてきたが、この論文は教会個々と教務との相互主体的、協働的な様相に着目するものとなっている。このことは、当該期の教団動向、さらには今日の教会、教団状況を捉え返す上にも示唆を与えるものである。

 加えて、教務教政との関わりで浮上する教会、教師、信奉者個々の体験や、その体験を介した問題の実態の究明の必要性が本論文によって提示されたことは、教団史研究にとって大切であり、また既存の価値観が様々に問い直される現代に投げかける意味は大きいと思われる。今後もそうした教団各面の人びとの様相をより具体化する視座を錬磨してもらいたい。
 
 ところで、こうした視座から若干問題点を指摘するならば、御用材の下付の取り運びが問題化され、堀尾保治教監自身が「大失敗」と位置づけたことをめぐって、当局者自身の意識の側での論究に終始している感が否めない。そこには、今日までの本教の歴史評価が、当局ないし教務教政といった施策単位でしかなされないような体質として知らず知らず研究者の立ち位置にも影響を与えているように思われる。こうした当局、教務教政の評価をめぐる研究者の眼差しは、より慎重に吟味されなければならないのではないか。


【研究ノート】森川育子


 「教制審議会特設部門における「拝詞」の審議の諸相」


 昭和29年、教規改正を担った教制審議会の特設部門(昭和25~28年)において、「拝詞」等の改定に向けた審議が重ねられていた。本研究ノートは、この「拝詞」をめぐる審議経過とそこでの出席者らの経験を問い、同部門の審議がもつ歴史的意義を浮かばせる試みとなっている。その中で、委員等が実体験を踏まえた意見を述べることで全体化や共通化が困難となり、翻って自身の信仰が問われるという経験が示されたことは大変興味深い。このような、審議において生まれたジレンマともいえるような心性、情念という領域に光を当てたことは、今後様々な議論を進める上で有意義なものであり、またそうした領域を方法・視点として先鋭化することで描かれる「教団史」に興味をもたせるものとなっている。

 そうとして本論では、同部門の帰結の様相が不透明であり、その点が後の儀式服制等審議会の初発の状況においてどう押さえられていたのか疑問となる。また戦後の動向から論究されており、戦前からの経験との関係性も考慮されたい。その意味で、同部門の議論をより理解するために、その前後の教内の言説や社会状況との関係性の検討も必要だったのではないか。

  また、本論を通じては、改定で得たもの/失ったものの内実や、「信教の自由」といった時代背景により希求された「独自性」が今日どういう意味をもつのかといった点からの、儀式服制等審議会による改定後の経験にも関心が及ぶ。それは、コロナ禍にあって儀式の形態も試行錯誤される昨今の状況があり、「拝詞」等の可変性という様相に関わって、そうした点々を改めて問われていることを思わせられるからである。この度の取り組みからさらに視野を広げた議論の展開に期待したい。


【研究ノート】岩崎繁之


 「金光大神年譜帳」と類似資料との関わりについて

  ―作成の順序とそこに浮かぶ諸相への注目―」


 本研究ノートは、「金光大神年譜帳」と、その形式・内容の類似する2点の資料(「金光大神暦注略年譜」略年譜部分及び「金光大神手控え綴」中14丁分の記録)を取り上げ、それら資料相互の関係性を追究したものである。共通する事柄についての記事を対照し、文章表現や表記形態の変化から、資料の作成順序に論究したことは、『金光大神事蹟に関する研究資料』の刊行(令和元年)もなされた今日にあって、各帳面の性格把握に寄与するものであり、また既知の「覚書」や「覚帳」などの成り立ちや、帳面を執筆・作成する金光大神の有り様への関心を喚起させるものとなっている。

 そうとして、資料論という点から言えば、「金光大神年譜帳」が金光宅吉の筆写本である以上、その帳面自体の記述内容に基づく金光大神の行為論への言及や、それに連なる金光大神像の構築には、より慎重である必要があろう。今後、例えば「覚帳」の原本と宅吉筆写部分との対照を踏まえた緻密な筆写傾向の把握といった、更なる資料批判も同時に求められてくるのではないか。

 また一方で、「金光大神年譜帳」などの新出の各帳面と、「覚帳」「覚書」といった既知の帳面及びその内容との関係性の検討によって、金光大神の記す行為、綴る行為の意味、あるいはより広やかに、信心の営みや、それが物語られていくプロセスなど、様々な面への我々の認識が如何に見返されるのかも課題となる。その上でも、資料論と並行して、事蹟解釈をも基盤に組み込むような、力の入った研究の展開に期待したい。



過去の記事



前へ
123
次へ
サイトマップ


Copyright(C) byKonkokyo Reserch Institute since 1954