○ | これほど多くの帳面を書くのは容易でなかろうが、教祖様は執筆を通して、自身が神様と向き合うに相応しいかどうか問うていたと感じた。また一つの事柄を何度も捉え返すことは、そこに現れていた神様の意向を正確に記述し、後世に伝えようとする営為でもあったと思う。
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○ | 但
し、教祖様が内省的に振り返っていた面ばかりに注目し過ぎると、近代以降に生きる私たちの発想を、教祖様に当てはめる事となりかねない。その意味で、これ
ら帳面には、神様からの働きかけに身を預けつつ、差し向けられた生を生きる教祖様が現れていることにも十分注意したい。
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○ | 帳面には、幕末に京都や江戸、あるいは玉島で起きた騒動の様子も記されており、それら世間の動きを肌で感じながら祈りを込める教祖様が窺われた。ここからは、あの時代、大谷という地に教祖様が神様から差し向けられた意義を、改めて求めさせられる。
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○ | 「覚
書」をはじめ、「覚帳」や年譜など教祖様の帳面を筆写していた四神様のことを学び、そのパワーに圧倒された。そして、四神様が筆写を通して教祖様の信心に
触れ、その姿を目の当たりにしたように思えた。この四神様による営みの意味を考える事は、我々にとっても教祖様に向かう上でヒントになるのではないか。 |