◎ | 二つの記念年を経た今だからこそ、こうして改めて、どのように教祖に向き合ってきたかを個々人の中で確認し、それぞれにとっての意味を出し合ってみることで、継続的な教祖への関心に繋がっていくことが期待される。
|
◎ | 教祖へ目を向ける意味を問うということは、ある意味、「教祖という資料」からどういう意味が導き出されるかという問題とも言える。しかし教祖は、意味が導き出される源泉である一方で、そこから問いが発してくる源泉でもあり、そのダイナミズムを捉えていく要があろう。
|
◎ | 教祖という名指しには、私たちの「信」が関わっている。ある意味、それは無根拠なのだが、だからこそ、その無根拠の「信」の上に立ち上がってくる教祖を各々がどう捉え直すかが重要となる。結果、そこでは自らの信仰が見つめ直されることにもなっていくのであり、それゆえに私たちの教祖への「信」には、自らを根底から覆すほどの、秘められた教祖の力との緊張関係が孕まれていると言えよう。
|
◎ | 教祖との距離確認は、ある種の解釈学的な要請でもある。その意味で、その距離が明確に意識されていた当時の信心状況として、教祖との身近さがあったと思う。一方現代は、そういう距離確認以前の問題として、教祖が分からないということがあるのではないか。その背景には、神への感受性が衰微している世の中全体の状況があるだろう。
|
◎ | 現代は、たとえフィクションであっても、あえて物語を立ち上げていかないと前に進めないような状況と言えないだろうか。そうした中にあって、パワースポットブームといった現象は、土地の解釈、あるいは伝承をどのように掘り起こしながら教祖が生まれてきた意味を考えていくのかという、救済の社会的意味への関心に響き合うのではないか。
|
◎ | この道の助かりが個的救済で完結しないためにも、難儀な氏子が社会的な存在だという確認はやはり必要だと思う。助かりや救いを個的なものとしてのみイメージすることは、難儀、そして教祖の信心を限定的に捉える視点にもなるからだ。そのような意味の閉塞から開かれるためにも、世界認識という問題が重要になってくるのではないか。
|
◎ | 大林発題と河井コメントを併せて考えると、信心という営みの傍らにあって、世界への認識と自己への配慮が同時に展開していくことを支えるものとしての取次を考えさせられる。そうした点から、「生神金光大神差し向け」とされるような教祖の意味を考えることもできるかもしれない。
|
◎ | これまで、「覚帳」をはじめとする直筆資料は、それを筆記する主体である教祖を明らかにする根拠として捉えられてきた。対して岩崎発題では、資料の存在そのものの意味を掘り起こすことから教祖研究の視座を問い直す、資料論の可能性が示された。書き込みや貼り紙といった帳面との向き合いが、教祖自身における自己への認識を要請したと見るその視点は、様々な事物との関係性や環境において生きられ、展開されていくダイナミックな信心の姿を捉えていく上で、非常に重要なものと言えるだろう。 |