▽ | 地域の人々にとって、教会へのお参りが土地の恵方参りという風習のように行われているということだが、教会における日常の信仰の様子がどのようになっているのか具体的に教えてほしい。
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▼ | 教会の参拝者は、月例祭やお祭りに参拝するというより、目的が建物であったり、土地であったり、病気というように、問題が生じた時に教会に来て、そこで拝んでもらうことに主眼がある。その時に限りおかげを頂きたいと言って来る。それで、おかげを頂き、何より神様の働きを誰よりも感じている。ただし、そこからお道の信心を進めていくということには、どうもつながらない、というのが教会を取り巻く状況である。
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▽ | 聖性が生まれると、その継続性はどういうふうに考えられるのか。
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▼ | 教祖は、この霊地のことを聖地とは言っていない。霊地や参拝についての研究もあるが、聖性は参拝する側がそれを見出して作り出している。教祖の広前を模して立教聖場を建てた先人もいるが、その営みというのがやはり大事だったのではないか。教祖が見出していた聖性と、その後の歴史の中で表そうとされてきたものとの関係を見極めていく要がある気がしている。
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▽ | これから、新しい資料はどう位置付けられるのか。資料というのは史的裏付けのためのみでなく、各帳面のテキストとしての位置付けも必要になると思うのだが。
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▼ | あらためて「覚書」「覚帳」というものの作品性に注目したい。これまで「覚書」や「覚帳」から、何か大きな物語が立ち現れてくるものを想定してきたが、そのように整序される前の感覚を資料から抱かされている。新しい資料の位置付けにとどまらず、今まであったものも含めて、もう一度並べてみる必要がある。その上で、どのような全体があり得るのか構想していきたい。
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▽ | 発題を聞きながら、地域に根差すべく、かつてのお道の伝え方にあった自由さや広さというものを考えさせられた。教団として組織化、制度化が図られる過程で、布教というものがどのように変化してきたのだろうかという関心を抱いた。これは教義にとっても何か考えるべき問題のように思うが。
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▼ | 参拝者にとって、神様のイメージは皆違うが、「神様」という言葉でつながっていると思われる。一人ひとりが、その土地柄の中で育まれてきている信仰、神様への思いを大切にしようとしている。ある時、「天地金乃神」という名前から説明すると、相手の方からは「自分が思う神様と違う」ということで、関係を遮断されたことがあった。その時、なぜ自分が説明にこだわっているのかという疑問が浮かんできた。神様がどうこうというより、神様に対して拝むということの中に安心感を頂いている面がある。自分は教内的な用語を極力使わないようにしている。お道の説明よりも、神様のおかげを頂き、より良く生きていきたいという方が自由に参拝できる場所として、お広前を開放して迎え入れるという、シンプルな感じを意識している。直信先覚や先輩の先生方のご尽力の中で信心が洗練されてきて今がある。その一方で、すごく大事なものも、もしかすると削ぎ落とされて今に至っているのではないか、と日々の御用を通じて思う時もある。
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