教学研究会

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第59回教学研究会



 開催日:令和2年11月10日

第59回教学研究会

 11月10日、本部教庁4階大会議室にて、第59回教学研究会を開催した。この度の会合では、「教学研究への経験を語る―信心の現在へ向けて―」をテーマに、研究者それぞれが個々の研究を進める手前で、何に出会い、信心にとっての課題をどう見出していくのかをめぐって、紀要第60号の内容も手がかりとしながら、それぞれの経験を語り合い、ここからの教学研究を展望していくことを願いとした。なおこの度は、現下の状況に鑑み、会場及びオンラインの参加形式を併用し、半日開催とした。参加者は会場23名(所外5名、本部機関職員3名、本所職員15名)、オンライン5名の計28名であった。

 会合では、所長挨拶の後、話題提供として須嵜所員より「歴史からの問いかけをめぐって」と題して発題がなされ、その後、参加者全体で懇談が行われた。

 以下、発題と懇談の要点を示す。


発題


 発題では、現下のコロナ禍の状況を、これまで曖昧にしてきたことに改めて気づき考える契機と捉えた上で、信心において「いつも通り」と思いなしてきた日常の営みをめぐり、発題者自身の現在の取り組みとそこから浮かぶ内容が述べられた。

 その具体的事例として、広島県福山市の新市教会から見つかった明治20年代の中島支所(岡山県西中島町)の広前に関わる帳面(「祈念簿」―御祈念帳とみられる)をとりあげ、①なぜ岡山市の中島支所の資料が福山市の新市教会から出たのか、②そもそも御祈念帳は誰に、どこに帰属するのか、③広前を訪れる参拝者の流動性をどう考えるのかなど、教会広前と教会長・参拝者を自明のものとして一体と捉えてきた傾向への問い直しが有する研究の可能性とは何かが論点として提起された。


懇談


 発題では、遊廓関係者など同支所の場所柄に関わる願主にとどまらず、岡山市内や近隣村など周辺地域からの多数の願主の存在も確認できることが述べられた。当時の西中島という場所は芝居小屋や旅館があったり、城下に船で物が運ばれて来たりするなど、人やものの往来の玄関口であった。こうした地域的側面から考えたとき、例えば、「祈念簿」に複数回、定期的に名が記された願主について、その人物の職業など生活スタイルとの関係から、参拝が何かの「ついで」であった可能性も考えられる。同じ、神様にお参りする場所でもそこへ向かう目的は一つとは限らない。このような地域性や人々の往来の様相は、「布教」への改めての視点となるのではないか。

 願主が複数の広前を移動するという様相からは、地域的な「越境」ばかりでなく、信仰的な「越境」ということも考えられる。現代においても、自身が所属する教会があるという帰属意識はありながらも、旅行や研修で訪れた地にある教会に立ち寄り、願いを届け出ることがある。また、他宗教の信者でありつつ金光教の教会へ参ってくる人たちがあり、その中には、拝詞は唱えないが、お祭りや行事には参加するといった関わり方をする人たちもある。こうした様相は、ある種ごくありふれた光景だが、一方でそこに、豊かさや広がりを感じる今をどう考えるかというポイントもあるのではないか。

 発題でなされたような、帳面の来歴や何が記述されているかなど資料論的な出発から浮かぶ「御祈念帳とは何か」との問いに対応して、広前があり、結界があって、そこに取次者がいて、願主がいるというような、どこか固定的な関係が我々の想定にあることを思わされる。そこでは、なぜそれを「御祈念帳」と呼んできたか、その時の我々の意識がこれまでどうあったのかというような、歴史への眼差しが求められよう。

 こうした問い直しは、なにも「御祈念帳」に限らず、時間を経て代を重ねていくうちに信仰的な意味合いが認められ、神聖視されていくものに目を向けさせる。そのようにして出来上がった「聖なるもの」が様々なところに存在すると考えられるが、その中には祭典や行事なども含まれるだろう。それらが「いつも通り」に出来ないという事態に直面している今であるが、その「聖なるもの」が出来上がっていく過程には、実はクリエイティブな信心の営みがあったという事実に改めて注目すべきではないか。例えば、理解が伝えられるその手前には、それが伝えるに値するものとなるための、聞く人間の豊かな経験があるはずだろう。あるいは、書かれ残されたものを優位とする文化はありつつも、焼けるなどして無くなることで永遠となるという考え方もある。聖なるものの現出を捉えようとする人間の行為や経験をより豊かに捉えていく方法、視点の練磨が求められる。その意味では、本教における金神や日柄方位についても、過去のもの、済んだものとして理解するのではなく、教祖がそのように見出した過程なり経験を改めて問い直していく可能性が考えられる。


 なお、姫野教善師より事前に発表の申し込みを受けておりましたが、開催形式変更に伴い当日の発表は行わないことになりました。

 つきましては、姫野師と相談の上、本所HPへの原稿掲載をもって発表に代えさせていただきます。

姫野教善 「「みな神様之銭 神様すえの為 御さしむけ」ということについての一考察」
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