教学研究会

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第58回教学研究会



 開催日:令和元年6月14~15日

第58回教学研究会

 6月14、15日の両日、金光北ウイングやつなみホールで、第58回教学研究会が開催された。

 このたびの会合では、「信心の今、今の信心―何をどう取り上げ、考えるのか―」をテーマに掲げ、人々の営みや言説の中で様々に表出する事柄の意味を、信心の問題として眼差すあり方を議論した。それを通じて、本教の信心は今どのような状況に置かれているのか(「信心の今」)、そして今まさに兆している信心の動きがあるならば、そこに何が見えるのか(「今の信心」)を求めることを願いとした。

 第1日は、10名による個別発表が行われ、第2日の全体会では、3名の発題と2名のコメント、そして全体討議が行われた。

 開会にあたり、大林浩治所長が大要次のように挨拶した。

 「このたびの研究会では、「今」という切り口で信心を捉えようと試みます。「今」ということから言えば、本年は立教160年の節目にあたり、心機一転、新しいことを迎える期待があります。しかし同時に、世の中全体、そして教内にも現状を危惧する様々な声が聞こえてきます。そうした言葉をもたらす「今」にあって、考えねばならないのは、危ぶむ状況を語る私たちの理解、見方の仕組みが、どうなっているのかということです。ひょっとすれば、その見方の方が危ういのではないか。そういう問題にも思いを凝らすことで、先の光景を考える糸口を得ることができるかが、「今」という切り口で試されているようにも思います。立教160年を迎える私たちにおいて、金光教の言葉、信心に対しての思い、考え方はどうなっているか。この度の研究会が、そうした様々なところを点検する機会になればと願っております。」

 以下、第1日の個別発表の題目と、第2日の発題、コメント、全体討議の概要を記す。


第1日 個別発表



A会場


塩飽望(助手)「ジェンダーから窺う本教信心の一様相―明治末期の教内新聞を手がかりに―」
堀江道広(助手)「「金光大神直筆帳面1」について―修験者に関する記事に注目して―」
白石淳平(所員)「「金光大神歴注略年譜」の可能性・課題性―資料的性格を中心に―」
岩崎繁之(所員)「『金光大神事蹟に関する研究資料』の概要」
姫野教善(厚狭)「「立教神伝」解釈―「実意丁寧神信心」再論―」


B会場


森川育子(助手)「昭和20年代の「拝詞」をめぐる議論とその背景―教制審議会記録を手がかりに―」

高橋修一(岡東)「青少年育成に関わって」
向井道江(佐古)「青年教師会や教区の行事企画の現場から、教内組織の活動の可能性を考える―信心とテクニックの捉え方に注目して―」

須嵜真治(所員)「佐藤範雄講述「教導指針」の資料的性格について」
児山真生(所員)「戦災教会・布教所における復興の様相―「戦災教会実情調査」を手がかりに―」



第2日 全体会



発題


 「教団独立から昭和戦前期における教会設置、合併、廃止・解散のメカニズム
  ―法制度、地域社会との関わりから― 」 山田光徳(所員)


山田光徳(所員) 本発題では、教会設置、合併、廃止・解散(「昭和16年教規」以前は廃止と呼称)に注目し、それらの有り様からうかがわれる教会の事例を示すことを通じて、教会が成り立つ諸要件と背景の追究を試みる。それは、教会の現在、将来への危機感が語られる今日にあって、改めて、教会が存立するとはどういうことかを考えていくべく、合併、廃止・解散も視野に収めた、歴史的検証が必要ではないかと思うところからである。

 そうとして、戦後では教会の存する環境が変化するため、制度上初めて教会が存することとなる教団独立から昭和戦前期を対象とした。中でも、当該期に設置そして合併に至る教会として、比較的その様子を把握し得る吹屋教会(大正4年設置、昭和17年親教会に合併)を中心的に取り上げる。

 同教会の動向をうかがうと、明治40年から山下カン(黒忠教会長)が同地へ居住し、本格的な布教がはじめられている。これには、以前から同地に商業を営むべく信者が流入し、講が設けられるなど本教信仰が広まり、教師の招聘が要請された背景がある。この信者の流入は、当該地の鉱業の経営拡大、それに伴う労働者、商業者の流入と、地域社会の活性化が影響しており、教会設置を促した要件の一つとなっていた。

 ところで、教会設置に関する制度面への注目から不認可となった各地の事例をみると、管長の認可、それを経ての地方庁の認可がまずは必要であったことがわかる。そしてその認可を得るには、一定の資力を有する信徒総代、土地家屋の確保、また地域社会、時代社会状況等との関係が重要な要件であったことが浮かんでくる。このことから教会の存立は、そうした種々の要件との関係性の上に成り立つものであり、その意味で教会は複合的な要件によって成り立つ存在であると見えてくる。

 一方で、右の意識から吹屋教会の合併をうかがうと、鉱業衰退に伴う人口流出や教師死去、また宗教への取締が強化される時期であり、かつ「宗教団体法」の制定(昭和15年4月施行)により教会兼務が認められなくなるといった、教会存立の種々の要件が毀損する事態に出くわすこととなる。これらのことから、教会設置、合併、廃止・解散は、教師の信仰如何のみで説明できるものではなく、改めて多角的に捉えていく必要性を考えさせる。なお、廃止された教会の事例を見ていく中には、時を経て再度設置される教会もあり、「教会の終わり」とは何かを考えさせもする。これらのことは、今日の我々が、教会や布教のあり方をどのように眼差しているのかを問うているのではないか。


 「教区機関誌編集のご用を通して感じる現状と課題」 野中正幸(教学研究所研究員)


 本発題では、私自身が『北九州教区だより』の編集に携わってきた中で当面した問題やその背景を考察し、本教の現状、課題について述べてみたい。

 近年、編集部に寄せられる教師の意見からは、読み手の信心発揚や展開に向けた教導性への期待や、現状を乗り越えるような実績・効果が保証された即効性ある実例へのニーズを感じる。また他面、いわゆる「おかげ話」に対する共感のし難さを述べたり、教区活動など教務の歩みを振り返り検証するべきといった声もある。

 このような声の背景として、様々な面で教師個々が信心において自明としていたものが揺らぎ、問い直され、不安が生じている状況が考えられる。これからを構想し、願いを立てることが難しくなっている現状があるのかも知れない。

 こうした傾向に関連してか、昨今の記事には、教会や教師の信心史をモノローグ(独白)的に記すものが多く見られる。ここには、執筆者個々の信心の土台確認、確立への求めがあり、「信心とは何か」との問い直しが現れているように思う。

 こういった現状にあって編集部では、今後、取材における対話(ダイアローグ)が大切ではないかと考えている。本誌には「クローズアップひと」という信奉者の信心を振り返るコーナーを設けている。例えばそうした記事の取材において、ただ話を聞くのみならず聴取対象者と対話し、その人の信心の歩みに新たな意味を見出すような記事を作りたい。そうした対話から紡がれる物語が、読み手の機微に触れ本誌自体が対話の場となって、多角的な見方を提供しつつ、前提を問い直す営みになればと願っている。

 なお、昭和五〇年から続く本誌は貴重な資料でもあり、歴史の検証、学びの場としての価値もある。その中で、例えば「九州の信心」といった言葉がどう現れ、語られてきたのかなど、我々が自明視している信心の言説を考える手掛かりともなるのではないかと思う。このような本誌の活用の在り方も今後構想していきたい。


 「語られた「老い」 ―信心をめぐる言語環境への問い― 」 高橋昌之(所員)


高橋昌之(所員) 超高齢社会を迎えた今日、高齢者や彼らをとりまく環境が社会的関心をもって議論される傾向にある。本教の言説に目を向けると、「老い」(加齢による身体的・精神的変調)の語りは、時代や語り手などの諸要素と信心の関係を考えさせるものとなっている。本発題では、教内新聞(1970~90年代)での「老い」の語りに現れる「理解」の捉えられ方や人間観の分析を通じて、私たちがどのように信心の言葉を語ってきたのか考えてみたい。

 「老い」の語りを通覧すると、各年代毎に変化している様子がうかがわれる。70年代には、「神徳を積みて長生きをせよ」や「信心は年が寄るほど位がつく」といった「理解」から、各自の信心で「望ましい高齢者」となるよう叱咤激励する語りが見られる。それが80年代になると、高齢信徒の紹介記事で理想的な高齢者像が示されるとともに、介護負担の増加など、「老い」の否定的側面に言及する語りも現れる。この両面が相克しているためか、これらの語りには「理解」が引用されないという特徴が見られる。

 後、90年代になると「老い」を追認する形で「理解」が引用されるようになるとともに、それまで皆無に等しかった認知症高齢者の家族などによる実体験記事が急増する。そこでの語りには、認知症高齢者との葛藤がかけがえのない経験と意味づけられていく価値の転換が読み取られ、各々に「差し向け」としての命が与えられているという信仰的確認を世に問うこととなっている。こうした語りが現れる要因には、施設に入る高齢者が増えて介護労働の「社会化」が進む中、本教の社会的な役割確認がより求められるなど、「老い」を語る教内の環境が変化したこともあるように思う。

 以上のように本教では、社会における自らの信仰の意義を求める過程で、時に理想とする人間像に教祖の「理解」を適用して語りかねない傾向が見られた。また、高齢化社会における諸事象を取り上げ、本教信仰の役割を検討する試みにおいては、信仰の意義そのものが問いに付される経験もしている。そうした営みから見えてきた真実に向き合い続けていくことが、教祖を通じて伝えられようとする神の言葉を現代に届けることになるのではないだろうか。

コメント


 髙阪有人(教学研究所研究員)


 近年、教会合併、解散が増加傾向にあり、それは教勢の低下と捉えられる。そしてそうした傾向の要因として教師の信心が問題とされる面がある。山田発題ではそうした面に言及していたが、そこでは教会の合併、解散への我々の向き合い方が問われている。教勢が大きく伸長している途上では、合併、解散は特殊な事例として把握され、そこで何が起きていたのかといった具体的様相は問われにくかったのではないか。よって、そうした事態への眼差しが固定化され、教師の信心以外に、教会や布教を成り立たせる要件はさほど注目されなかったのかも知れない。山田発題は、そうした我々の向き合い方が問題として浮上する今を迎えていることの、積極的な意味を提示するものであったと思う。

 野中発題については、編集・刊行に関わる現状報告にとどまらず、そこで出会う問題とどう向き合ってきたのかという、格闘の跡が提示されていた。そして試行錯誤の中で見出してきたダイアローグ(対話)への着目と、それが現状に対してどのような道筋を付け、何を生み出していくのかとの期待が示された。この目論見が企画として形となった経緯や今後の行方については、教区という枠を越えて関心を抱かされる。

 高橋発題については、「老い」を間口として、その言説を通時的に分析することで、本教一般の信心認識を浮かび上がらせ、かつ現代社会との関係にも接続されている。語りを扱うということは、自覚的意識のみならず無意識的に信心がどう捉えられているかも浮かび上がらせることになり興味深い。また、通時的に分析することで信心意識の変遷、展開の様相という一つの流れが示され、こうした推移に乗せて「信心の今」を捉えようとしている。その上で「信心の今」という視点を今日の「老い」という事象そのものに振り向けて捉えていく時に何が生まれてくるのかも考えさせられる。

 これら三つの発題は、共通して「信心の今」を積極的に分析、確認していこうとしている。だからこそ、このたびのテーマにある「今の信心」をどのように考えていけるのかがこの後の論点になってくるだろう。それに関わっては、「世が開けるというけれども、開けるのではなし。めげるのぞ。そこで、金光が世界を助けに出たのぞ」との理解が想起される。ここでの「出たのぞ」は、「今まさに兆している信心の動き」とイコールであり、現代社会においても、助けが必要なところに神、金光様の働きを見る事ができるのではないか。現代の問題に届く信心の言葉とはどういうものなのか、ということが改めて問われていよう。


 河井信吉(教学研究所嘱託)


 これまで本教では、社会と信心、現代社会と教団のように、内と外それぞれ実体のあるものとして対置し、両者をどう繋げるかが議論されてきたように思う。しかしそうした「社会なるもの」は実体的に存在するのではなく、私たち自身がその中を生き、それを紡ぎ出す担い手である。様々なものが常に働き合いながら現出し続けている「何か」として、物事を捉えていくことが必要だと思っている。

 このことに関わっては、ブリュノ・ラトゥールの「アクターネットワーク理論」が興味深い。社会的、自然的世界のあらゆるものをアクター(役者)と呼び、それらが繋がり合いながら一つのものを作り出している。アクターそれぞれが主体で、そこに与えられる役割は、関係性の中で生じ、絶えず動いている何かでしかないという考え方である。

 山田発題には、これに通じるものがある。教会を成り立たせる様々なアクター一つ一つを浮かび上がらせながら、そのネットワークを記述していくことで、教会の設置、あるいは合併、解散を描き出すことになっている。

 このことを踏まえ、改めて信心の立場に立てば、神が先に願を立てており、願いを聞き取った人々に働きが起き、その働きに様々なアクターがたぐり寄せられながら教会というプロジェクトが成り立っていると見えてくる。このことからは、社会と相対するのではなく、私たちが神の思し召しを受けながら、生活の中で様々な人々と協働し一つの世界を作り上げ、上手くいかないときには作り直す。そういう柔軟で、創造的な有り様を期待させられる。

 私が御用する国際センターに関して述べると、翻訳が大きな問題となる。海外の人に伝える翻訳があり、教祖時代の信心を現代化する翻訳もある。それはある面、人が生きる世界とまた別の世界、その二つを移動する作業でもある。

 近年、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」という概念を援用して考えている人たちがいる。「環世界」とは、生物はみな同じ世界を生きていても、生物それぞれの固有の身体能力から独自の世界を知覚し生きているという考え方である。そして、人間には「環世界」を移動する「環世界移動能力」があることを提唱する人がいる。このことからすれば、翻訳は「環世界移動能力」の問題として考えられる。これを私たちに置き換えれば、私たちは「信心環世界」を生きており、それをどう翻訳するかが問題になってくる。野中、高橋発題は、このような視点から捉えていくとさらなる問題が見えてくる。

 野中発題では、教区だよりというメディアが、世界を構築する一つのアクターになっている。問題は、それが何を翻訳することになっているかだと思う。信心が作り上げていく「環世界」はおそらく複数存在する。ある種道徳的にこうすべきとの言説で作られる信心の世界と、何か絶えず神の現れに開かれているような出来事の中から神と出会い、対話するような「信心環世界」もあるだろう。紙面には、そうした信心に対する眼差しの変化が表れてきているのではないか。

 高橋発題では、新聞の分析から、各時代毎で「社会なるもの」がどう捉えられ、言葉に反映されているかがわかる。「社会的なもの」を実体化し、強く意識する時代がくる。ところがそれによって、ある種のヒューマニズム的な他者への優しさや慈しみが語られるようになる。それがどう信心の問題になるのかがポイントではないか。信心の問題とは、神と人との関係性がどう現れ出るかであり、そこへの問いが強まってきているという変化が思われる。そのような「信心の今」が浮かび上がっている。


全体討議


 山田発題では、教会の存立をめぐる種々の要件が示され、また実際には、それら要件に可変的な面があることもうかがわれる。それは現在においても無関係ではなく、合併、解散はいつの時代にも成り立つ。そうした歴史事実が今日まで積み重ねられてきたのだとすれば、髙阪コメントにもあったように、合併、解散に至ることは決して特殊なことではないと思われてくる。この点については、時を経て再度設置された教会や閉鎖された教会の信徒が別の土地で信心を営む例などから、時間的、空間的な広がりも考慮しつつ向き合うべきだろう。

 野中発題からは、いま何を発信すべきかというような、教区だよりというメディアがもつ今日的な意義を考えさせられた。それは北九州教区のみならず、多くの教区、媒体が当面する課題ではないだろうか。そのことから、こうした取り組みを通じて得られた経験が、広く教務や布教現場に還元されるよう、有機的な関係を構築することが期待される。

 高橋発題で取り上げられた「老い」からは「死」というものも意識させられる。そうとしたとき、「生きたくば神徳を積みて長生きせよ」や「ポックリ往生を願え」といった「理解」相互の関係を、それら「理解」を受けた人々の状況も考慮しつつ考える要が浮かぶ。また、安楽死や自死といったことも教祖の事蹟や本教で営まれてきた信仰に照らしつつ、今後考えていくべき問題となろう。

 各発題、コメントから、地域社会や法制度、メディア、社会の価値観などが信心を営む上で如何に不可分かが見えてくる。ここからは、従来布教者たちの姿勢や情念などを基調に描かれてきた信心との関係をはじめ、総体的なものの見方が如何になし得るか、今後のさらなる議論が期待される。

 このたびのテーマから、今日の社会と本教がどのように向き合っていけるかを改めて考えた。それは今のみならず将来を考えていくことに他ならない。高橋発題にもあった高齢化は日々進み、最近では年金制度、国民皆保険制度、医療保険制度の破綻への危惧が叫ばれている。人生の最後をどう締めくくるかということは政府も問題として取り組んでいるが、容易に構想、実現できるものではない。このことに関わっては、医療界から宗教者への期待も高まっている。こうした今日にあって、我々がどのように信心の言葉を語っているかに注視しつつ、いかに死生の安心をもたらせるかといった点など、社会のお役に立つあり方を求め続ける営みから構想される「今の信心」もあり得るのではないか。

 今日、例えば「老い」のように、さも問題であると認識されているものが沢山ある。そうだとしたときに、「老いの問題」ではなく、「問題となる老いとは何か」という方向転換によるズレを生み出すことで、気付かされるものがあるように思う。対象主義的に問題を問題として問うのではなく、問題とする認識基盤を問い直すことが、今必要であると思わされる。問われるべきは社会の価値観であり、それを眼差し、穿つのが信心ではないか。信心、あるいは神をも最初から前提とせず、認識基盤を徹底的に問うていくことで、そこに新たな信心、神との出会いが生まれるということもあるのではないだろうか。

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