○ | 新たな資料の影響に関わっては、例えば、紀要『金光教学』第61号の白石論文によって、「年譜帳」には、鴨方の邏卒が金光大神に対し、「金神様は人を叱りだけの神でござるか」と尋ねたという事蹟があることを知ることが出来た。改暦後にも「金神」が人びとの中で息づいていたという新たな知見であり、とても刺激的であった。また、「年譜帳」からは世の中の動きを見つめる金光大神の姿が想起される。こうした部分を研究的に掘り下げていくことは、今の我々に示唆を与えるものがあるのではないか。今後も、新たな資料を手がかりとした発見や再把握が積み重ねられていくことに期待させられる。
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○ | 新たな資料の登場により、これまでの教祖像をはじめ、我々の信心をめぐる自明性が問いに付される思いがする。だからこそ、今後研究が進められていくことで得られる、そうした揺らぎの先には何があるのかを意識させられる。そして、そのことによって、我々の信心を見つめ直したり、語り直すような動きが生まれ、新たな本教の展開の契機となっていくことが楽しみである。
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○ | 新資料の登場は同時に、「覚書」「覚帳」、とりわけ「覚書」が如何に我々の教祖像、ひいては信心イメージの土台になってきたかを浮き彫りにした。それは、教祖像とともに、その土台になってきた「覚書」、「覚帳」とは何なのかが改めて問われることでもある。これを問うていくことは、そもそもこの道はどういう道であるのか、どのようにして成り立ってきたものであるのか、といった根本的な問い直しに通じていくのではないか。
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○ | 我々は「覚書」、「覚帳」を読めるものとして読んできたが、新たな資料によって、これまでの物語、イメージに齟齬が生じ、上手く「読めない」という経験が生まれてきているように思う。この読めなさは、「覚書」、「覚帳」の登場時にも生まれていたのではないかと思われるが、それでも読めるようにしてきた歴史があるのではないか。例えば、取次あるいは布教といった先行する価値がそうさせたのかもしれない。そう考えてみる時、今の我々の「読めなさ」は、そこから開かれる信心の世界へ向けての重要な論点として、改めて考えてみる必要があるように思う。
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○ | 教祖像の問い直しには、改めて教祖伝あるいは教典といったものが、どのように見えてくるのかということも考えるポイントとして浮上してくる。ところが、他面では、従来のイメージから変わりがたいという同一性を強く保持する傾向もあるだろう。それは一体何の顕れであるか。またそうした中で新しいものを見出そうとするその動因は何で、どのようにして生まれるものなのかを見極めていくことも、大切ではないか。
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○ | またその意味で、教祖伝や教典が、何か確固としたものを確立するというばかりではなく、金光大神の信心を求める際の受け皿となってきた側面にも改めて注目する要がある。そして、大切なのはその受け皿を大きくしていくことであろう。せっかく新たな資料によって、従来の物語、意識が解きほぐされていこうとしているのだから、例えば、複数の物語や、それぞれの教祖像が生まれていくような、信心の世界の広がりの方も大切にしたい。だからこそ、教学研究所には、そうしたことを為していくための、材料作り、基礎作り、橋渡しの役割を、引き続き着実に取り組んでもらいたい。
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