教学研究会

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第60回教学研究会



 開催日:令和3年11月19日

第60回教学研究会

 11月19日、第60回教学研究会が開催された。このたびは、オンライン形式と対面形式(金光北ウイングやつなみホール)を併用する形で行われた。

 はじめに、大林浩治所長より「教学研究における「私」について」と題して基調講演があった。引き続いて、「教祖研究の展望―「金光大神事蹟に関する研究資料」を手がかりに―」をテーマに行われた全体会では、岩崎繁之所員による発題の後、オンライン・対面を交えた全体での懇談がなされた。

 以下に、Ⅰ基調講演、Ⅱ全体会の発題と懇談の概要を記す。なお、基調講演は紀要『金光教学』第62号にその全文を掲載する予定である。


基調講演


所長大林浩治 「教学研究における「私」について」
                    
 ここでは、教学研究に見られる、ある特徴的なありようを考えてみたいと思います。それは、例えば研究の主体たる「私」が「考えさせられる」といったありようであり、「私」に問われるという、受け身のかたちで研究が成り立っていく様子です。そこに、何か教学ならではの意味がうかがえるのではないでしょうか。
 本講演では、特にこうした研究に見られる「私」の問題へ関心を寄せてみたいと思います。

 ◇「私」を巻き込んで
 みなさんは、研究論文において、受け身のかたちで研究者が論述にあらわれるのを、よく見かけておられるでしょう。
 例えば、最近のものを見てみましょう。昭和二九年の教規制定へ向けた「拝詞」改定の議論を扱ったものです。研究者は、その議論が不成熟なものにとどまったことに注目して、自身の問題関心をこう述べています。不成熟ではあったが、そこでの議論の「取り組みと経験に、見ておくべき問題があるのではないかと思わされるのである」と(森川育子「教制審議会特設部門における「拝詞」の審議の諸相」『金光教学』第60号、2020年)。
 ここで研究者は「思わされる」と言っています。研究者としての「私」が「思う」のではありません。「私」が「問題に思う」のではなく、「私」の方が「問題に引きずり込まれている」。だから研究として取り上げたのだ。論文の動機、研究関心が、こうした様子で示されているのです。

 ◇教学と諸学と
 一般に研究は、自分自身を認識可能な主体として打ち立て、認識されるべき客体である対象について、客観的、合理的に記述することを目指します。しかし、信心を対象にする教学研究では、どうもそういうわけにはいかないようです。
 おそらく研究者自身にとって、自分の生動は信心のこととして確かめるほかないものとなっているからでしょう。教学研究者は、信心が何らかのかたちで自分に流れ込んでいるのを、疑いもない事実としています。ですから、いくら自分は、対象とは距離を取り、客観的な立場で信心を見ようとしているのだと自認したところで、当て込みのようなことになってしまうのです。
 こうした問題を抱え、では客観性が求められる研究は、どう可能だというのでしょうか。このことが大きく問題になっていた様子を振り返ってみたいと思います。

 ◇「昭和九年十年事件」に求められる客観性
 例として、「昭和九年十年事件」についてなされた会合を取り上げます。
 みなさんよくご存じのように、「昭和九年十年事件」を明らかにすることは、昭和29年の研究所発足以来、教学研究全体の大きな課題でありました。でも、それは大変難しい問題でもありました。というのは、「取次教団」という自覚を教団にもたらした「画期的事件」(『金光教学』第1号、1958年、86頁)とされるものの、金光家を巻き込んでいたりして、デリケートな問題だったからです。
 事件には、当事者の思いも強く影響しています。研究者が客観的に取り上げようとしても、「自分の信念こそが絶対だ」という人たちには、決して受け入れてくれそうもありません。そんな様子ですから、なおのこと、道の本義に照らして、この事件のもつ意義、性格を明らかにできる教学研究であることが強く求められていました。

 ◇歴史認識への問い
 研究の立場、態度について、こんな言が見られます。
 「あの事件の在りのまゝの事実の中から…本教の将来に向かって、どういう意義をもって居るかという事を、見いだしてゆこうという態度について、十分検討していく必要がある」(会合記録、昭和30.1.19)。
 これは、ありのままの歴史から、信心ゆえの生動的価値をつかみ取ることで、はじめて事件に「自覚(運動)」という名をつけることができるのであり、はじめから「自覚」として歴史を見るようでは、教学研究としてはふさわしくない、というものです。
 この言が問うているのは、歴史認識でしょう。最初から「自覚」だとして歴史を見るような態度は客観的ではない、と言っているからです。大事にされているのは、歴史をありのままに見、そこから「自覚」という意味を汲み取ることができるか。そこに教学である意味が見られるのです。これは、今の私たちにも問われているでしょう。最初から「自覚」としか見ないような、私たちの価値認識は、はたしてどうなのか、と。
 さて、ここから言えるのは、信心にとっての歴史は、生動的過程といった認識を与えてくれるダイナミックな何かなのであって、「自覚史」の認識でもたらされたものではないということです。ここからさらに、こんな問題提起を受け取ることができるでしょう。本教信心の固有性を歴史に見ていくことと、本教信心の固有性で歴史を見ていくことは違うのだ、と。
 主に歴史の分野での教学研究の客観性は、こうした歴史への態度に問われていたのでした。
 以上が、教団史研究で問題視されたことですが、実は、教祖、教義研究でも「自覚」が大きく問題にされていました。次にその様子を見たいと思います。

 ◇「自覚」の問題化
 教祖、教義研究が、今も主たる関心としているのは、神と人(教祖)との関わりです。しかし、研究所発足当初は、その多くが教祖の主体的な内面把握の問題で扱われてきたことは、よく知られているでしょう。
 こうした向きで注目されたのが、「難儀性の自覚」(「凡夫」「無礼」も)であり、それが、主体たる「私」の能動的、積極的な意志作用のもとで論じられてきました。しかし、そもそも「難儀」、「無礼」といったものは、「自覚」という能動的意識作用では、決してつかみきることのできない問題です。ですから、研究者は、自己の認識に収めるように取り組めば取り組むほど、それが困難だという問題にぶつかっていきました。そして多くの者が、「自覚」する「主体性の欠如」を自己自身の問題として、責めるように問うこととなっていったのでした。
 しかし、そうでありながら、そこから新たな動向が芽生えることとなりました。「主体性の欠如」をこそ「私」の事実とし、それが「私」に向けてのいかなる問題なのかを見定めようとしていく動向です。

 ◇問題となる状況を研究視角に取り込む
 この新たな動向は、研究者としての「私」を、「欠如を自覚する主体」として立たせることで、自身の置かれた状況であり、問題となるその状況を、教学研究として積極的に取り込んでいくことを可能にしていきます。
 その中から生まれた、こんな言葉を見てみましょう。「とかく陥りやすいことだが、教祖の人格の非凡さや、神の力の礼讃を、われわれの立場から価値評価的に言い立ててもならない」。「出来事を了解するためにわれわれの言葉に置き換えるということに停ってはならない」(福嶋義次「「秋浮塵子」の事蹟にいて―『御覚書』解釈のための試論―」『金光教学』第8号、1968年)のだと。
 こうした物言いで、研究者は、いったい何を求めていたと言えるでしょうか。それはずばり、私たちの、そして何より研究者自身の、対象への接し方の変更です。教祖研究においては、教祖への見方を変えよ、と迫るのであり、「覚書」に対しては、「奇跡的な物語りへもちあげ」るような読み方を変えよ、と迫っているのでした。

 ◇「読み方」に変更を迫る
 このように、「自覚」欠如の事実に立ち、そこに主体を打ち立てようとする研究のいとなみは、研究者を「解釈する人」として立たせることになりました。
 そこで言うところの解釈とは、調べてみて明らかになった新しい事実を提示し、あれこれ説明するといったことにとどまりません。それを介して、これまでの読み方を見直させるほどの価値を帯びているかどうか、それを研究者に突きつけるものなのです。
 もちろん、それほどの価値を帯びた解釈が、容易ではないことは、研究者自身が一番わかっていなければならない問題でしょう。ですから、絶えざるいとなみとして、見方や読み方を変えるほどの問いとなっているか、厳しく自問され続けるのです。よりふさわしい問いの立ちあがりを求め、その取り組みにおいて自分自身を見定めようというのです。
 よく、教学研究において、「問いを問う」という言い方がなされますが、それはこのことを象徴した言葉でしょう。問いを問うというこの点に、「欠如を自覚する主体」が求められた研究者の主体性を見ることができるというわけなのです。読み方に変更を迫るように問い続けることで、「欠如」を一挙に埋めることはできないけれども、たえず「主体的」であろうという意志を保つことにはなります。こうして教学研究は、研究者自身に永続的ないとなみとなっていくのです。

 ◇研究の広がり
 ところで、このように振り返ると、「私」を巻き込んでの研究は、さまざまなものやことを取り上げながら、今も「私(たち)」に向けての解釈を提示しつづけていると言うことができます。
 その後の歩みを、ごく簡単にまとめると、教団史研究では、教団の組織化に同一化と差異化の志向を認め、その様態を読み解く分析がなされています。その一つとして、「擬態」として教団組織を読み解き、差異性が機能する場面に注目する取り組みがあります。この取り組みによって、組織化の動力となっていたのが、差異がもたらす自己矛盾の認識だったことが明らかにされました。研究者は、そこで矛盾ゆえにどうするのか、との問いを自身に突きつけています。教団といった観念や組織に、そしてその起源や出発点に、「非合理」や「矛盾」が基礎づけられているのを見ることは、教義の正当性、無矛盾性、真理性を鋭く問い、矛盾のなさを自認する現状に、研究者自身が揺さぶられていたことがわかるでしょう。
 また、教祖・教義研究では、「覚書」に加え、「覚帳」も登場し、事蹟解釈に加え、テクスト解釈という方法も採用されていきました。そこには、「覚書」の解釈でぶつかった問題も影響しています。「テクスト」という見方を可能にしたところには、教祖や信心に向けた囲い込むような意味が強く働いていることを問題とし、それを振りほどこうとする意識が生じていることは明らかです。さらには、神のお知らせを、人間の意志作用との異なりで見ていくことも試みられていきます。

 ◇研究の今
 このようにざっとまとめた上で、さらに、これからの大きな研究の動向をうかがうとすれば、どういったことが言えるでしょうか。
 おそらく、神の意志や働きが、内面の自己のこととしてではなく、外からの触発として自己へもたらされると見ていて、そこから神との関わりの相互的、創造的な関係性に着目しようといった様子が顕著なことになっているでしょう。
 では、その確認に立ってみて、教学研究の今、その意義なり価値は、どういったことになるでしょうか。
 最初に申しました、受け身のかたちでなされる研究のこととして言えば、こうした研究がなそうとしているのは、主体たる人間の意識の中で、物事をかくあらしめようとなされる存在や実在の議論とは離れたところで、自己決定の対象になりえないような主体化を問題にしようとしているでしょう。それを「私」というところで見てみれば、そうした問題化で取り組む研究にこそ、何らかの主体へ誘われる契機への、「私」の関わり方があることが見えてきます。そしてそこのところで、信心は、「私」自身にとっても、内的な緊張として世界に直面しているその事実とともにあるのだという、この事実の深い受けとめにもなっているでしょう。その受けとめの手応えを得つつ、「私」である研究者は、信心のいろんなことがらを対象として、そのことを吟味検討しようとしていることになります。
 この吟味検討は、教学研究ならではのこととして、というより、教学研究が信心の研究としてあることに由来する「つとめ」であると考えるのですが、みなさんは、どう思われるでしょうか。


全体会


テーマ:「教祖研究の展望―『金光大神事蹟に関する研究資料』を手がかりに―」

 「発題」 岩崎繁之
 本発題では、現在の資料、研究状況を全体で共有するべく、〈金光大神事蹟に関する研究資料〉(以下、〈事蹟に関する資料〉と略記)の概略、それらを活用した研究成果の概略、そして、現在取り組まれている研究も含め、今後、期待される研究テーマや課題について述べる。このことを通じて、後の懇談への話題提供としたい。
 これまで、金光大神に関わる既存の資料としては主に、「金光大神御覚書」(以下、「覚書」と略記)、「願主歳書覚帳」、「神号帳」、「一乃弟子改帳」に加え、「お知らせ事覚帳」(以下、「覚帳」と略記)、「広前歳書帳」があった。教祖研究では、これら資料を通じて研究が進められてきた。
 これらに、平成27年に旧管長家より教団に提供された資料のうち、金光大神直筆をはじめとする金光大神在世時に関わる資料が加わった。それは、「金光大神年譜帳」(以下、「年譜帳」と略記)、「金光大神暦注略年譜」、「金乃神様金子御さしむけ覚帳」、「御金神様御さしむけ金銭出入帳」、「金光大神手控え綴」の帳面の体裁をした5点に加え、「諸国神名帳」、「申し渡しの覚」など25点ほどの直筆記録である。
 このうち、金光宅吉筆写の「年譜帳」については、金光大神の出生から帰幽近くまでの様々な出来事の記録を所収した内容である。この帳面は「第32回教学に関する懇談会」(2016年12月14日)や、「典籍に関する懇談会」(2018年9月18日)において、今後、金光大神の信心について究明するにあたって、全教の方々と内容を共有した上で研究が進められることが望ましいと確認された。こうしたところから、研究所では、『金光大神事蹟に関する研究資料』や、紀要『金光教学』60号、同61号を通じて、これら新しい資料の公開を進めてきている。
 また、資料の公開と並行して、〈事蹟に関する資料〉をとりあげた研究も進められている。研究成果としては、金光大神と神との歴史実態的様相を明らかにする研究、金光大神にとってのお知らせの意味を明らかにする研究、金光大神にとっての神(金神)把握を明らかにする研究があり、神と金光大神との関わりの究明が行われてきている。さらに、金光大神直筆の筆写活動を通じた金光宅吉の信心の様相を明らかにする研究や、帳面資料の性格を明らかにする研究も行われ、資料をどう眼差すのかについて究明している。
 こうした新たな研究が生まれてきている中で、では改めて今後どのような研究が求められ、期待されていくだろうか。そこで幾つか考えられることを挙げてみたい。
 まず、金光大神にとっての神やお知らせの把握、またお知らせの実践やその意味の究明ということが期待される。例えば、「年譜帳」起筆のお知らせがあることと、帳面の作成、出来事が選び取られてくることの問題がある。そしてそれは、明治7年10月15日の「覚書」起筆にも関わってくると考えられる。その他では、「覚帳」から広げた〈お知らせ〉論、〈広前〉の運営の歴史実態様相の究明、「覚帳」、「年譜帳」、「覚書」それぞれの作品としての意味を明らかにする研究、金光大神と家族との関わり、家族から見た金光大神との関わり、教祖伝記あるいは教祖像再考へ向けた「覚書」論などが考えられる。


懇談


 新たな資料の影響に関わっては、例えば、紀要『金光教学』第61号の白石論文によって、「年譜帳」には、鴨方の邏卒が金光大神に対し、「金神様は人を叱りだけの神でござるか」と尋ねたという事蹟があることを知ることが出来た。改暦後にも「金神」が人びとの中で息づいていたという新たな知見であり、とても刺激的であった。また、「年譜帳」からは世の中の動きを見つめる金光大神の姿が想起される。こうした部分を研究的に掘り下げていくことは、今の我々に示唆を与えるものがあるのではないか。今後も、新たな資料を手がかりとした発見や再把握が積み重ねられていくことに期待させられる。

 新たな資料の登場により、これまでの教祖像をはじめ、我々の信心をめぐる自明性が問いに付される思いがする。だからこそ、今後研究が進められていくことで得られる、そうした揺らぎの先には何があるのかを意識させられる。そして、そのことによって、我々の信心を見つめ直したり、語り直すような動きが生まれ、新たな本教の展開の契機となっていくことが楽しみである。

 新資料の登場は同時に、「覚書」「覚帳」、とりわけ「覚書」が如何に我々の教祖像、ひいては信心イメージの土台になってきたかを浮き彫りにした。それは、教祖像とともに、その土台になってきた「覚書」、「覚帳」とは何なのかが改めて問われることでもある。これを問うていくことは、そもそもこの道はどういう道であるのか、どのようにして成り立ってきたものであるのか、といった根本的な問い直しに通じていくのではないか。

 我々は「覚書」、「覚帳」を読めるものとして読んできたが、新たな資料によって、これまでの物語、イメージに齟齬が生じ、上手く「読めない」という経験が生まれてきているように思う。この読めなさは、「覚書」、「覚帳」の登場時にも生まれていたのではないかと思われるが、それでも読めるようにしてきた歴史があるのではないか。例えば、取次あるいは布教といった先行する価値がそうさせたのかもしれない。そう考えてみる時、今の我々の「読めなさ」は、そこから開かれる信心の世界へ向けての重要な論点として、改めて考えてみる必要があるように思う。

 教祖像の問い直しには、改めて教祖伝あるいは教典といったものが、どのように見えてくるのかということも考えるポイントとして浮上してくる。ところが、他面では、従来のイメージから変わりがたいという同一性を強く保持する傾向もあるだろう。それは一体何の顕れであるか。またそうした中で新しいものを見出そうとするその動因は何で、どのようにして生まれるものなのかを見極めていくことも、大切ではないか。

 またその意味で、教祖伝や教典が、何か確固としたものを確立するというばかりではなく、金光大神の信心を求める際の受け皿となってきた側面にも改めて注目する要がある。そして、大切なのはその受け皿を大きくしていくことであろう。せっかく新たな資料によって、従来の物語、意識が解きほぐされていこうとしているのだから、例えば、複数の物語や、それぞれの教祖像が生まれていくような、信心の世界の広がりの方も大切にしたい。だからこそ、教学研究所には、そうしたことを為していくための、材料作り、基礎作り、橋渡しの役割を、引き続き着実に取り組んでもらいたい。

 なお、姫野教善氏より事前に発表の申し込みを受けておりましたが、当日の発表は行わないことになりました。
 つきましては、姫野師と相談の上、本所HPへの原稿掲載をもって発表に代えさせていただきます。

姫野教善「生神金光大神〝生まれ変わり〟と〝百日修行〟の信仰的意義」
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